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 【幼少期から“念”が強いのを実感するも誰にも話さず過ごした→交通事故で重傷】

家族の中には霊感が強い人もいたので、自分の“念”の強さはさほど気にしていませんでしたが、それが特殊なことなのだと解ってからは家の外では“普通の人間”を意識して振る舞うようになりました。ですが占術カードやパワーストーンを買ってきたりと、スピリチュアルな事に興味はあったようです。この時自覚していた能力(?)は念”ですが、(★)15歳の時に遭った交通事故 後に予見”に変わっていくのでした。

ちなみに3歳頃に『痙攣(ひきつけ)』を何度か起こし、その時使った治療薬が社会人になった現在でも低身長(140cm前半)であることに影響している…と言われたことがありますが、詳しいことは当時の記録を調査しても分かっていません。

★自転車運転中に4tトラックに後方から追突され、全治約1か月の重傷。頭蓋骨骨折と外傷性クモ膜下出血、脳内膜血種を受傷。その入院時“とある出来事”から「自分は生かされた」と思うようになりました。そして退院後、何故か周りの人々や親族から「性格が180度変わった」と言われるようになりました。それまでも決して傲慢に生きてきたワケではないのですが…。

 

 

【20代の時、職場のストレスから『うつ病』を発症】

エンターテインメント系の職場で、女性上司から受けたハラスメントがきっかけで『うつ病』を発症。当時は現在ほど社会的な理解を得られない時代だったので、すぐクビとなり、その後も職場を転々としました。そんな時、幼い頃に買ったパワーストーンが戸棚から一斉に見つかり、“このような力に頼るべきである時”だと実感し、本格的にパワーストーンの力に頼るようになりました。最終的には1日に10種類くらいの薬を服用し、自傷行為に発展。心療内科の医師から入院レベルと言われましたが、両親が反対したため治療を強制的に終了させられました。薬への依存を短期間で絶つのは本当に苦労しましたが、何とか克服できたのは、パワーストーンのおかげだと現在でも感謝しています。

 

 

【『医師事務作業補助者』に就き、国立病院に勤務。2011年東北地方太平洋沖地震を経験】

リーマンショックを機に、診断書の作成など医師の事務作業全般を代行する『医師事務作業補助者』として国立病院で勤務。2011年、東北地方太平洋沖地震を経験し、その後宮城県石巻市へ派遣される医師のサポート事務員として参加を希望するも、外来で診察する医師から事務的サポートを懇願され、悩んだ末、断念。被災地で医療活動中の医師とメールをしながら

「医師事務作業補助者も所詮、事務員。人を救うことはできないのか」

と、自問する日々を過ごし・・・。気がつけば、『臼井式レイキ(霊氣)』を習うことに。

『臼井式レイキ』を習っている間に『シータヒーリング』にも興味を持ち、応用DNA』まで習得。(これが意外にも自分の予見能力をコントロールするために大いに役立つことに!)

数年後、『臼井式レイキ』『シータヒーリング』を教えて下さった師のレベルを超えてしまったらしく(一緒に習っていた生徒さんから教えていただきました)、そのスクールは卒業することになりましたが、ご縁があって別のエネルギーヒーラーさんから臼井式レイキのティーチャーも習得。

その後新たなスクールでの交流会に参加し能力を研鑽していたところ、その師からエネルギーヒーラーとして独立した活動とヒーリングイベントへの出展を勧められ活動開始。このホームページやブログの開設に至っています。

 

 

【最終的に目指すのは”心を救う人“】

20146月より『ヒーリングマーケットⓇ』へ出展。以後数回同イベントに出展していましたが、その一方で、『臼井式レイキ』ティーチャーを習得した頃から自身の霊的成長の加速により病院での勤務がだんだんと困難に…。

20154月頃から(声のお仕事をされていた)御仁の専属ヒーラーとしてボランティア活動に専念すべく出展を中断。御仁が夭逝されたことを機に20214月、出展を再開いたしました。

※出展再開にあたり、『藤原汀花(ふじわらていか)』に改名。

 

 『人間の行動には(理解できないものも含めて)必ず“愛”が存在する』
『どんなに自分自身の能力が向上しても、皆様と同じ“人間”として施術する』
事をモットーとしながら、今後も相談者さまやヒーラーや霊能者の皆様との交流を通じて、成長していくことが目標です。

 

ここまで読んで頂き、ありがとうございました★